〜この作品について〜
★海里凌サマの連載小説『狐白−大切な願いの叶え方−』 第1夜の番外編になります。
★オリキャラや設定の詳細は→璃尾サマのHP「狐桜白拍子」にて掲載中の本編をご覧下さい。
陽溜まり <著者:海里凌サマ>
春の陽溜まり。
居を構える森は西魔界の中でも北にあり、一年の半分は冬の最中だ。
それでも。
寒い朝でも蕾を付け、銀色の昼には花が咲いた。
冷えた夜には、やさしく白い花弁が包む。
お前がいると、春だった。
どんな凍えそうな日でも、明るい無垢なお前は春に変えてしまっていた。
いまでも、大切な、たいせつなひとだ。
*Other.1 陽溜まり
『麓兄ーっ』
明るい聞き慣れた声に呼ばれた、――気がして、麓(ロック)は振り返った。
が、そこには誰もいない。
当たり前だ。その声の主は、もうこの世界にはいないのだから。
「……」
道の両脇に続く木々から、無数の葉が空に伸びている。それが麓の朱い瞳に、
映る。
瞳はどこかさみしそうな色を出し細まり、ゆるやかに閉じられた。痛そうに泣
きそうに瞼(まぶた)が微(かす)かに震える。
――さわ…
風が弱く吹いた。葉擦れが小さく鳴る。
瞼を上げると同時に、麓は目的地の湖へ再び歩を進めた。
ほぼ円の形を成した湖に出れば、開けた空間が頭上に広がる。さすがに湖の上
に木々はない。
見上げれば、青い空に白い月が二つ浮かんでいた。一つは満月に近く東寄りに
、もう一つは細い三日月で中央から少し西に傾いている。もう一つは、確か新月
だったか。
湖に程近い二人ぐらいは座れるだろう石に麓は腰を下ろし、また空を仰いだ。
「『月夜(つくや)』、か…」
この湖に名称だ。
誰が付けたのかは知らないが、よく合っている。名前の通り、月がよく見えた
。
自分等寿命が長い妖怪でさえ見ることが難しいと言われている『実月』が終わ
り、約一年近く。そろそろ気持ちが落ち着いてきた。
末の妹が消えてからというもの、麓は多少不安定な状態にあった。それでもど
うにかなったのは、妹がいて弟がいて…しっかりしなくては、という気持ちがあ
ったせいだろう。
あの厳格な祖父には、報せておいた。
『――そうか』
一言、そう頷いただけでそれ以上は訊いてはこなかった。
ただ…気のせいでなければ、その時の祖父の姿は、少しさみしさがあった。去
り際、遠目でちらりと目にしただけなので大した自信はないのだが。
不意に、真後ろ上に影が落ちた。
「…をい。」
「☆」
次に麓の目に映ったのは白い月ではなく、金の狼の妖怪。
「唯さん…っ」
驚いて、麓は向きを変え唯を見上げた。
シルバーグレイの瞳が、不機嫌そうな色を出す。腰辺りまである髪はくせっ毛
で、狼の尾と同じ金色だ。頭から覗く耳は、それより少し薄い。身長は百八十セ
ンチ半ばぐらいで、外見からの年齢は二十歳そこそこ…麓より少し上ぐらいか。
「何考えてたんだ? 呼んだのに気付かないし」
片肩を少し竦めて、唯は麓の左隣に腰を下ろした。
瞬きし、麓は罰が悪そうに眉を下げた。全く気付かなかった。
「ぁ…。すみません…」
「別に構わないけどさ」
さらり、と唯は流し、再度訊いた。
「何考えてたんだ?」
麓の周りには、下もだが…年上が数多く存在する。その中でも、唯は数少ない
歳の近しい上のひとである。
妹弟には滅多に見せない幼さが入った表情で、麓は困ったように笑った。
「少し…、思い出して…」
実血の兄妹上、麓は一番上に当たり、そのため近い年上の唯は兄的な存在だ。
だから、家族等とは違う意味で、唯の前では麓は肩から力を抜ける。
かるく唯は驚いた。が、それがやさしい笑みに変わる。
「…そっか」
そっと、灰銀の瞳が閉じた。
どれほど彼が末の妹を可愛がってくれたいたか、麓は知ってる。どれほど、た
いせつにしてくれていたか。
知ってる。
「この…」
やわらかく唯の声音が、緩く吹く風に乗る。
「願いも叶うと、いいよな」
親指で唯は自分の左胸を指した。
願いは、その胸に抱いている。深く、やさしく、心の奥から。
想いを。
静かに麓は首縦(しゅじゅう)した。
「えぇ。叶うと、いいですよね」
汀兎(ティト)も紅唖(クレア)も流蘢(ルル)も、あの祖父さえも…そう願
っているはずだ。
しあわせに、と。
望んだそのひとに逢えるように、と。
そして逢えたのなら。
わらってるといい。
しあわせに、しあわせに。
願うことしかできないけど。
想うことしかできないけれど。
しあわせになっていて。
それからさらに十七年後。
暗黒武術会。
「耳にしただけなんですが…」
先程出た怪我人の処置が終わり、その道具を片付けながら麓は言った。
「蔵馬、が大会に出場している…らしいですよ?」
「らしいな。オレも耳にしたよ」
処置室の壁際にあるソファに座り、唯は頷いた。
瞬きを数度して、麓は訊き返した。
「知ってたんですか?」
「ん。人間と一緒に参加しているらしく、騒がれてたから」
茶を一口流し込むと、唯は肩から力を抜くように息を吐いた。
ある程度の怪我の状態なら同班の者と手分けして処置に当たれるのだが、大き
なものだと治癒能力が必要になってくる。が、治癒能力は持ってる者が限られて
いた。
そのため、唯は能力を使いっぱなしだ。疲れるのも当然である。
こうして休んでる間にも怪我人は出ている。しばらくすればまた、その怪我人
が来たり運ばれたりするだろう。なので、今はささやかな休憩時間だ。
かすかに聞こえる大会のアナウンスを耳に、汀兎(ティト)は窓の外を眺めて
いたが…緩慢に二人に向いた。
「あの、さ。俺…」
「ん?」
首を傾げる麓に、汀兎は報せた。
「瑪瑠(メル)の気、感じたんだ」
「……」
無言の反応に汀兎は驚く。
「…っ、気付いて…っ?」
「…気付いてたよ」
首肯する麓に、唯が補足する。
「お前が気付けるくらいなんだから、オレ等が気付かないわけないだろ」
基本妖力値は、唯、麓、紅唖、流蘢、汀兎の順に高い。高ければ、相手が下手
に妖力を隠していない限りは、気の察知に早い。
実のところ唯は、耳にするより前に蔵馬と瑪瑠の気に気付いていた。
困惑気に、汀兎は問う。
「――会いに」
「行く暇、ねぇって」
茶をテーブルに置き、唯は背伸びをした。
唯は救護班で班長を担っている。班長であるからには、同班を仕切り別班との
連絡等を行う役目にある。私情でそう動ける立場ではないのだ。
脚を無造作に組むと、唯は二人に顔を上げた。
「お前等なら会う…のは無理でも、見に行くぐらいならできるけど」
瑪瑠の能力系統と性格を考えれば、参加者ではないはずだ。あの客席のどこか
にいる。
が、物好きな観客は席一杯を占め、とてもじゃないが会うのは相当運がない限
り無理な感じだ。けれど、遠目で見るぐらいは可能だろう。
「どうする?」
「…」
問われ瞬間迷ったが、麓はすぐに首を横に振った。
「…俺は、遠慮しときます」
「麓兄…?」
思わぬ兄の答えに、汀兎は黄緑色の瞳をしばたいた。
麓は唯から目を逸らさずに続けた。
「その刻が来ればおのずと逢える、と思うので」
「――そうか」
困ったように、唯は微苦笑した。
唯も麓と同じ考えだ。会いたいとは思うが、焦らなくても大丈夫だと知ってい
る。心が、そう自分に伝えている。
麓から汀兎に、唯は目線を移した。
「お前は?」
「ぁ…、……」
まさか麓が断るなんて思ってなかったので、汀兎は困惑する。
眉と白い狐耳が下がり、数度瞬きながら麓と唯を交互に見、…俯いた。
「俺、は……」
あいたい。
遠目でもいい、あいたい。
でも。
(今は…)
その刻ではないと、汀兎も知っている。
見るだけなら平気だろうが、果たして自分がそれだけで済むかはいささか怪し
い。やはり声をかけ話して、――抱き締めたい。
麓がいればそれは抑えられると思うが、いないとなれば自信がない。
「……、…」
けれど、行かない、と口にしようと開いたが、言葉にならなかった。気持ちが
反していて。
代わりに汀兎は、弱く…本当に弱くだが、首を左右に一度振った。
これには麓と唯は驚いた。てっきり行くんだとばかり思っていたのに。
「…」
二度瞬いて、麓と唯は数秒目を合わす。
そして、ふ、と二人は兄の顔して笑んだ。
今日、魔界の空はいい散歩日和だ。
四つある一つの会場出入り口前で、警護班の紅唖(クレア)はそんな空を仰い
でいた。
いまは近くに、この会場の中に、末の妹の気を感じながら。
* * *
さらに二十二年後。
長とは別に暮らす麓たちの家に、一見猫のような狼が嬉しそうに顔を出した。
「聞ーけーよ――っ」
ふわっ、とした狼の尾が上下に振られている。
緩んできた何冊かの冊子の紐を結び直していた手を止め、紅唖が眉をかるく寄
せた。
「ルカ、なんだよ」
「落ち着け」
書類に走らせていた筆を、麓は置いた。
反応の悪さに、ルカは不満気に頬を膨らます。
「ひでーっ。せっかく教えにきたのにっ」
「何を?」
愛用の弓矢を整備しながら汀兎は訊いた。
へへーっ、とルカは嬉しそうに笑う。
「あのなーっ」
ルカの答えに、見る間に三人の顔色が変わった。
ルカが答え終わらないうちに、汀兎は駆け出していた。すぐにその後を、麓と
紅唖が追いかける。
落ち着きをなくした白狐(しろぎつね)の兄妹の背を見送りつつ、ルカはやさ
しく微笑した。
行けば、すでにそこには唯がいた。
側に、癖のある黒い髪の女性と跳ねた朱い髪の男性。それと、こどもらしき男
の子が二人。
波のような黒髪の女性が、麓たちに気付いて片手を上げた。かつての幼いあの
少女のように笑い、自分たちの名前を呼ぶ。
「汀兎兄っ、麓兄っ、紅唖姉っ」
たまらなく泣きそうに、麓は瞳を微笑させた。
うれしくて、喉に何かが詰まり言葉にならない。
うれしくて。
晴れた青い空の下。
たいせつなきみが、わらっている。
+記念*Other.1.完
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