”Dearest” <著者:樋口杏サマ>オレは全速力で走っていた。 もういつの間にか、人間らしく一般の公道を人間らしい速さで走るのもやめていた。 ・・・こんなときにどうして出張なんか。 急げ・・・早く。 彼女の元へ。 ・・・梅流の元へ。 夜更けの街を全速力で駆け抜ける。 屋根の上、木の梢。人がいない場所のほうが何かと都合がいい。 これだけの速さで走っているオレにぶつかったら、ぶつかったほうがたまらない。 悪くすると即死しかねない。 だけど、申し訳ないけれど、今は立ち止まることもできないから。 人の安全より、自分の都合のために、オレは人のいないところを駆け抜ける。 どれくらい走っただろう? もし、今のオレを黄泉や飛影が見ていたら。 失笑されるかもしれない。呆れられるかもしれない。 あと10分。 オレの足もさらに速まる。 なんとしても12時までに梅流のところへ。 今のオレには、どこを探しても「冷静沈着」なんて言葉は見つからない。 焦りに焦って、夜を駆ける。 ようやく見えた。 梅流の家。 時計を見ると、11時58分!間に合った! ”コンコン” と窓をノック。 「え…?秀ちゃん!?今日は出張って言ってなかった? それに…なんで窓から?」 心底不思議そうな梅流。 オレはわき目もふらず走り通しだったことに、今更ながらちょっと照れた。 「いいからいいから。…あと1分」 「へ?」 「……秀ちゃん?」 「待って。……あと30秒」 「う、うん。でも…中に入ったら?寒いでしょ?」 大阪から走ってきたから暑い、とはさすがに言えずに蔵馬は苦笑した。 「あ…うん、じゃお邪魔します」 窓から梅流の部屋に入り。 その瞬間。 パジャマ姿だった梅流を、何の前触れもなく抱きしめた。 「ジャスト!ハッピーバースデー梅流」 「…ありがとう」 「走ってこなくても、12月14日はまだ24時間あるんだよ?」 蔵馬の腕の中で笑いながら梅流がささやく。 「梅流の誕生日を一分一秒たりとも無駄にしたくないからね。 …今日は24時間ずっと一緒にいたいんだ…」 トクベツな日だから。 今日はずっと一緒にいよう。 ずっと手を離さない。 何万回「愛してる」ってささやくより、一度の抱擁のほうが オレの気持ちを伝えられそうだから。 梅流に出会って、すべてが始まった。 オレにとってのすべて。 これほど誰かを愛しく思うことがあるってことも。 こんなに誰かに会いたいと思う気持ちも。 堪え切れない程の切なさも。 …そして、自分の心にこれほどの穏やかさが眠っていたことも、オレは知らなかった。 すべては梅流と出会ってから。 隣にいるだけで心が浮き立つ。 手をつないでいるだけで、梅流の手から彼女の気持ちが染み込んでくる…。 オレの手からも、梅流に何か染み込んで行っているんだろうか? ……愛してる。 |