シンデレラ☆ハロウィン 6
「あっ!!」
黒い影……その輪郭がはっきりとしてきた途端、瑪瑠は声を上げた。
見覚えがあった、その顔。
間違いなく、あの少女の継母だった。
更に後ろに見える影は、継姉妹たちに間違いないだろう。
「なるほど……継母とすり替わっていた。いや、最初からそうだったのか」
【く、くくく……あの男はだましやすかったからねえ……取り入るのも、取り殺すのも簡単だったさ……】
「ひ、酷い……」
あの男というのが、おそらくは少女の父親だろうことは、瑪瑠にも分かった。
この悪魔は、少女を不幸にするため、父親に取り入って、最後には殺した。
更に、虐めて虐めて……彼女の唯一の、そして一番の『願い』さえ、阻もうとしたのだ。
そして今も、少女から幸せを奪おうとしている。
「酷い…酷いよ!! 何でこんなことするの!?」
【酷い? これが悪魔のやり方さ。人間の不幸が我らの糧。お前だって、肉を食らい、山菜を食らうだろう? 同じことだ】
「! そんなの違う! 先生言ってた! 無理に不幸を作り出す必要性なんてないって!」
そんなことをせずとも、世界には悪魔全員が腹を満たせるくらい、負の感情が漂っている。
わざわざ人間一人を不幸に貶める必要などない。
それをする悪魔は、決して野放しにしてはならない……「悪」。
今は人間界に留まっているが、魔法界にも悪影響を及ぼすことは必須。
いや、そんなことよりも、少女の『願い』を崩そうとしていることの方が、許せなかった。
【おやおや、勉強熱心だ。だが、見習いの魔女風情に、悪魔のやり方に口出しはしないでもらいたいね。
……大体、そっちだって同類だろう? 数多くの人間の生き血をすすってきた吸血鬼。ヴァンパイアの蔵馬よ】
「……えっ……」
ゆっくりと瑪瑠は振り返った。
其処に立つ、青年を。
……蔵馬は顔色一つ換えてはいなかった。
ただ、先ほどと変わらず、そこに立っていた。
「……本当…なの?」
おそるおそる尋ねる瑪瑠。
彼は、肯定も否定もしなかった。
けれど、無言でいることこそが、肯定の証。
【くくくっ……そうさ。ヤツは何千年も生き、人間界で人間の生き血をすすってきた吸血鬼だよ。
人間界を追われ、魔法界へ逃げ込んだとは聞いていたが、まさか見習いの魔女のお守りをしているとはねえ】
あざ笑うかのように言う悪魔。
その言葉に……瑪瑠は体中の血が沸騰するような感覚を覚えた。
「し、失礼なこと言わないで!!」
突然悪魔を睨み付け、怒鳴る瑪瑠。
それは先ほどの比ではないと同時に……悪魔と、そして蔵馬をも驚かせていた。
声の大きさではない。
その内容に、である。
瑪瑠は構わず続ける。
「わ、私は蔵馬にお守りなんてしてもらってない!!
そ、そりゃ私の方がずっと色々お世話になってるのかもしれないけど、そんなつもりないもん!!
蔵馬に甘えたいなんて思ってない!! 私は…まだ見習いの魔女だけど……
で、出来れば蔵馬と並んで立ちたいと思ってるんだから!!」
真っ赤になって叫ぶ瑪瑠。
そこには……恐怖も驚愕も愕然とした気持ちもなかった。
ただただ、必死だった。
それも、蔵馬が思っていた……予想していたこととは、全く別のことで。
「……瑪瑠…」
「え? 何?」
くるり振り返った瑪瑠の顔は、まだ赤いままだった。
が、やはりそこには蔵馬が思っていた感情は微塵もない。
「お前……怖くないのか?」
「? 何が?」
本当に分からない……というように尋ねる瑪瑠。
「……俺は吸血鬼なんだが」
「みたいだね。蔵馬が違うって言わなかったんだから。それに」
「それに?」
「納得…出来たかな。蔵馬が禁断の領域の出口知ってたことも、どんな魔法でも簡単に使えたことも。
吸血鬼って魔力がすごく強いもんんね。それで魔法も習得したんだったら、納得出来るよ」
「……」
「? どうしたの、蔵っ……く、蔵馬!?」
突然、身体が温かいものに包まれた。
蔵馬の黒衣のコートが、ふわりとなって、地面に落ちる。
蔵馬が……抱きしめていた。
「……ありがとう」
「え、蔵馬? 何て、言ったの?」
蔵馬の言葉は、耳元で囁かれたのに。
あまりに小さすぎて、瑪瑠には聞こえなかった。
「瑪瑠。行け」
ばっと立ち上がると、蔵馬はコートの中から一輪の薔薇を取りだした。
瑪瑠は一度だけ見たことがある。
あれは、蔵馬も最強の武器だった。
瑪瑠を背に、悪魔を睨み付けながら、蔵馬はなおも言う。
「こいつは俺が始末を付ける。お前は、行け」
蔵馬が一瞬やった視線の先……黒い靄で覆われた屋敷の前に、一台の馬車が止まっていた。
華美でない、立派な馬車。
誰のものと、聞くまでもない。
御者席から降りた男や、馬車から降りた家臣らしき男たちに、屋敷は見えていない。
地図と照らし合わせながら、首をかしげている。
……このままでは。
「! 分かった!!」
だっと駆け出す瑪瑠。
靄を消えるまでは、おそらく瑪瑠も入ることは出来ないだろう。
せめて足止めだけでもしなければ。
【させるか!!】
「貴様の相手は俺のはずだが?」
薔薇の花びらが舞い、一瞬にして強靱な鞭へと変貌する。
瑪瑠へと向かおうとした悪魔の腕が、一瞬にして切り落とされた。
【ぐあっ!】
「本当ならば、いたぶってやりたいところなんだがな……時間がない。一瞬で決めてやる」
すっと鞭を構え直す蔵馬。
そして、次の瞬間だった。
「華厳裂斬肢!!」
【ぎゃああああぁ!!! …お、おのれええぇ!!】
カッ!
その全てが砕け散ろうとする寸前だった。
「何っ!?」
悪魔の最後の断片から、放たれた一撃。
それは……蔵馬の脇をすりぬけ、一直線に屋敷の方へと飛んだのだった……。
「きゃあ!!」
あれこれと理由をつけ、必死に家臣らを足止めしていた瑪瑠。
突如として、黒い靄が晴れ、屋敷があらわになり、ほっとした次の瞬間だった。
黒い一撃が飛び……瑪瑠の目の前で、家臣の手にしていた硝子の靴を粉砕したのは。
「あ、ああ…」
「な、何てことだ……っ!!」
愕然としたのは、何も瑪瑠だけではない。
手にしていた家臣は元より、他の家臣も御者でさえ、顔から血の気が引いていた。
王子が選んだ唯一の相手。
その少女を見つけ出せる……たった一つの手がかりだったのに。
「そ、そんな……」
「手がかりが……砕け……」
地面に座り込む彼らを前に、何と言っていいのか分からない瑪瑠。
瑪瑠は知っている。
この屋敷にいるのが、本当に王子の選んだ少女なのだと。
けれど、証拠はない。
この場で直接少女と対面してもらっても……秋の夜、暗がりのパーティでは、顔などろくに見えてはいなかっただろう。
瑪瑠の魔力は、まだ見習い程度。
衣装が12時までしかもたなかった。
硝子の靴だけが、かろうじて残ったのは、耳飾りに秘められた魔力のおかげ。
でも、それも片方が砕けた時点で、もう片方も消えているだろう。
もはや、証明できるものは、何もない……。
その時だった。
落胆する家臣たちの後ろ……馬車の扉が開かれたのは。
「「「お、王子!! あ、あの我らは…」」」
青い顔をした家臣たちの前に降り立ったのは、燃えるように真っ赤な髪を靡かせる美少年だった。
美しい緑の瞳は、家臣たちを呆れた顔で見下ろした後、ふと瑪瑠の存在に気づく。
「あ、あの…」
何か言わねば…と思った瑪瑠に、王子は一瞬驚いたような顔をみせた。
が、すぐに柔和な笑みを浮かべ、
「昨日はありがとう」
それだけ言って、通り過ぎた。
「え?」
「「「お、王子?」」」
ワケが分からないのは、瑪瑠も家臣たちも同じこと。
呆然としている前で、王子はすたすたと歩き、そして屋敷の扉を叩いたのだった。
しばしの間の後、扉がおそるおそるといった感じで、扉が開かれた。
重々しい半開きの扉から、瑪瑠にも見えた。
みすぼらしい衣装をまとった、少女の大きな黒い瞳……王子を見留め、見開かれ。
次の瞬間には、涙の泉となったのを。
「梅流。迎えに来たよ」
「……うん…うん! ありがとう!!」
「……王子様。最初っから、あの子のこと、知ってたんだ」
「らしいな」
魔法界へ戻る道すがら、瑪瑠はもう一度、あの城を振り返った。
王子と共に、あの少女が向かった…いや、あそこはこれから彼女の家になるのだから、帰って行ったと言った方が正しい…あの城を。
動揺する家臣らの前で、王子は当たり前のように少女の手を引いて、馬車へと戻っていった。
少女は泣きながらも、瑪瑠のことに気づいたようで、「ありがとう」と言っていた。
正気に戻った家臣が、「本当にその方なのですか!?」と叫ぶと、王子は少し気分悪そうに、
「自分の妻になる相手を間違えるほど、莫迦だと思うのか?」
と言っただけだった。
「大方、子供の頃に会っていたんだろう。あの家は、元々貴族の末裔に当たるらしいからな。
あえて、パーティなどさせたのは、子供の頃の約などアテにならないと家臣どもに反対されたからだろうな」
それも悪魔の仕業だろうが、と蔵馬は付け加えた。
「あ、もしかして、靴を置いていったのも…」
「わざとだろうな。王子の策だろう。継母の目があるから、名乗れない。
だが、衣装が12時で元に戻る以上、下手に引き留められない。
苦肉の策だが、靴をダシに、国中を回れば、いずれ会えると踏んだんだろうな」
どちらも必死だったことが伺える。
王子として、簡単に町や村を回れない身も、継子イジメされ、下手に表に出られない身も。
お互い出会うだけでも……必死だったのだ。
「でも、本当に良かった!! あの子の『心からの願い』叶えられて!!」
パーティへ行きたい…も、間違いなく、彼女の『願い』だった。
けれど、本当は……王子に会いたかったのだ。
幼い頃にした、約束。
必ず一緒になる、と。
「それより……すまなかったな」
「え? 何が?」
「靴……木っ端微塵になった。俺の失態だ」
靴が砕けた以上、耳飾りもなくなってしまったことになる。
少女にあげた時点で戻ってこない可能性の方が高く、そのつもりではあったろうが……
目の前で、砕け散るのは、良い気持ちではないだろう。
「いいよ! 蔵馬は悪魔を倒してくれたんだもん。ありがとう!」
「だが……」
心底申し訳なさそうな蔵馬。
瑪瑠はもう気にしていないのに。
いつも堂々としていて。
弱いところなど、なさそうな彼が。
何だか……可愛く見えた。
「じゃあ、一つだけお願い聞いてもらえる?」
「……ものによるが」
「これからも一緒にいて」
「! ……ああ」
魔法界への境界に、銀色の影がゆれて、消えた。
終
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