突如、聞こえてきた声に同時に振り返る親子。
そこに立っていたのは……。
銀色の長い髪と金色の冷たい瞳。
そして何よりその白い獣耳と銀色の長い尾……。
冬だというのに纏っている白い装束は袖無しである。
こんな人間がいるはずない。
つまり……彼は野獣なんだ!
「きゃあああ!!」
思わず声を張り上げて後ずさる梅流。
しかし、その手はしっかりと父の手を掴んでいた。
「珍しいこともあるものだな。この城に二人も人間が訪れるとはな。
わざわざ喰われにきたか」
「……!!」
その冷たい視線に梅流は完全に凍り付いてしまった。
今までたくさんの怖い思いをしてきた。
森の中で迷子になり、追い剥ぎに追われたこともあった。
市場で突然起こった火事に巻き込まれ、
もう少しで焼け死ぬということもあった。
港で船を見学していた時、碇にからまっておぼれ死にそうにもなった。
しかし……。
そのどれよりも今、自分は怖い思いをしている。
そう身体が訴えていた……。
「まあ、若い女は喰うのは勿体ないからな。
そっちの男だけにしておくか」
「ちょ、ちょっと待ってよ!!」
はたと我に返って叫ぶ梅流。
野獣に睨まれ一瞬、引き下がりそうになったが、
「あ、あたしはいいけどお父様は食べないで!!
食べるならあたしにしてよ!!」
「…だから若い女を喰う気はないと言ったろう」
「……じゃあ、どうしたらお父様を逃がしてくれる?」
必死に父の命を助けてと訴える梅流の瞳を、
しばらく見つめていた野獣。
ふいにクックと笑い、そして言った。
「じゃあ、お前がおれの嫁になるか?」
「は……」
突然の言葉で梅流は野獣が何を言ったのか、よく分からなかった。
しかし、その意味が分かった途端、梅流の顔から血の気が引いた。
「あ、あたしが……や、じゅうの……」
口をパクパクさせ、焦点のあっていない目で野獣を見つめる梅流。
しかし、梅流が正気に戻る前に、
「だ、駄目だ!梅流の命を犠牲になど出来るか!!」
と、彼女の父が野獣に向かって怒鳴った。
しかし……。
「誰が命を貰うと言った。嫁になれと言っただけだ。
第一おれは貴様に交渉しているわけではない。
この女…梅流に言っているのだ」
「貴様!何故、梅流の名を!」
「……たった今、貴様が言ったんだろうが……。
ところで梅流。どうなんだ?」
はっと顔を上げる梅流。
と、身体が触れるくらい近くに野獣が立っていた。
「どうするんだ?父親をおれの食料にするか、
お前がおれの嫁になるか…」
「……選択権ないようなものじゃない。
いいよ。あたしお嫁になる」
「梅流!!駄目だ!!梅流!!」
「五月蠅い。梅流が承諾したんだ。
貴様に用はない。とっとと帰れ」
野獣がパチンっと指を鳴らすと、
途端に檻は消え失せ、父は解放された。
「すぐに出ていけ。外の馬もな」
「え、ルーのこと知って…」
「安心しろ。何も手出ししていない」
そう言うと、野獣は何処かへ行ってしまった。
父と娘の最後ということで気を利かせたのだろうか……。
「梅流!!」
父は梅流の華奢な身体を力一杯抱きしめた。
途端、梅流の頬に熱い涙がこぼれ落ちた。
「すまぬ!わしがこんな城に入らなければ……。
いくら悪天候に見舞われたからといって、こんな城に……」
「いいのよ、お父様。さあ早く逃げて。入口まで送るわ」
父の涙をハンカチで拭きながら、
梅流は父を城の入口まで連れて行った。
雪の嵐はとっくに止んでおり、
外ではルーが二人の帰りを今か今かと待ち望んでいた。
梅流たちの姿が見えると、ルーは嬉しそうに走り寄ってきた。
「ルー。ありがとう、待っててくれて。お父様。さあ早く」
父をルーの背に跨らせる梅流。
「梅流。一緒に来い。一緒に町へ帰ろう」
「駄目よ。野獣が怒ったらどうなるか分からないわ…。
元気でね、お父様。ルー、お父様をお願いね」
「ブルルッ…」
頭のいいルーは何となく、
梅流が一緒に帰らないことに気付いていた。
しかし、大好きな梅流の願いなのである。
放心状態の父を背中から落とさぬよう、バランスをとりながら…。
彼は何度も何度も振り返りながら、城を後にした……。
父とルーが見えなくなると、梅流は城の中へと戻った。
これからどうすればいいのか……。
本当に野獣の嫁になるしかないのか……。
しかし下手に野獣を怒らせれば、父の命も危ない……。
あれこれ考えながら歩いていると、
いつの間にか地下室へ来てしまっていた。
「……あれ?」
一見、ごく普通の地下室に見えたが、
よく見ると奥にもう一つ扉があった。
何だか嫌な予感がしたが、恐る恐る扉を開けてみる梅流。
「……!!?」
そこにあったものを見た途端、梅流の顔は蒼白になった。
一面に……血にまみれた肉塊が転がっていたのだ。
牛や豚のものではない。どう見ても人間のものである。
「こ、これ……まさか、あの野獣が……」
ようやく動けるようになった梅流は、
まだ震えている足を何とか立たせ、走り出した。
「(殺される!ここにいたら殺される!!)」
心の中でそう叫びながら、梅流は走った。
城の中、何処をどう走っていたのかはよく分からないが、
多分最短距離で城の入口まで辿り着いただろう。
しかし…城を出ても梅流はその足を止めなかった。
暗い深い森の中へ、そのまま走り込んでいったのだ……。
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