その後、野獣は怪我からくる疲労で再び眠りについた。
疑問だらけのままだったが、
とりあえず野獣が元気になったので梅流は安心した。
……安心した?
そうなのだ…。
いつの間にか、梅流は野獣のことを深く意識するようになっていたのだ。
彼が眠っている間、傷の痛みでうなされては泣きそうになり、
呼吸が荒くなればワタワタオロオロしてしまい、
かと思えば、落ち着きを取り戻すと、
これ以上にないくらいの安堵の息をもらした。
こんなにも彼のことを意識するということは、まさか……。
「まさか…ね……」
一瞬梅流の中を過ぎった感情。
しかしそんなはずないと、梅流はすぐにうち消した。
何となく気を紛らわしたくなり、梅流は野獣の部屋を少し歩いてみた。
部屋といっても、城の主の部屋である。
半端な広さでないので退屈しなかった。
と、一番隅のカーテンの影に何か階段のようなものがあることに気付いた。
隠すようにしてあったその階段を、梅流は一歩一歩上っていった。
どのくらい上がっていったろうか……。
螺旋状のその階段は、やがて一つの小部屋に行き着いた。
その中を見ては悪いかとも思った梅流だったが……。
思い切って、扉を開けた。
そこは本当に小さな、隠し部屋のようなところで、
中央に小さな茶色のテーブルが置かれている以外、何もなかった。
しかし……。
そのテーブルの上には誰をも魅了するような美しい花……、
一輪の真っ赤な薔薇がガラスのケースの中に入れられていたのだ。
「き、れい…」
思わず見とれてしまう梅流。
これほどまで鮮やかで光っているような薔薇……。
梅流は今まで見たことがなかった。
しばらくぼんやり眺めていたが、
ふとその後ろに銀色の手鏡が置かれていることに気付いた。
「鏡?かなり古そうだけど、綺麗に磨かれてるな〜」
鏡を手に取りながら呟く梅流。
と、鏡を持ったまま野獣の元へ戻っていった。
野獣はまだ夢の中にいるようで、すーすーと寝息を立てていた。
怪我の方ももう心配なさそうである。
「何だか、可愛い寝顔♪」
あれだけ怖がっていたのが嘘のよう……。
梅流はもう野獣のことを怖いなどとは微塵も思わなかった。
それどころか、もっともっと野獣のことが知りたいと思っていた。
「そういえば…この人、何て名前なんだろ。
起きたら聞いてみようかな……えっ!?」
突然、手にしていた鏡が淡い銀色の光を発したのだ。
思わず落としそうになったが、何とか握りしめていることが出来た。
「危なかった……あっ!」
鏡を覗き込んで、思わず叫ぶ梅流。
そこに彼女の顔は映っていなかった。
素晴らしい蒼い山脈を臨む立派な城。
多くの人々が出入りしているが、皆立派な麗人ばかり。
キラキラと飾られた美しい人々が、満点の笑顔で微笑みあい、
幸せそうに行き交っている。
本当に夢のような世界……。
しかし、梅流は何処かで見たことのあるような気がしていた。
「もしかして…このお城の過去?」
ぽかんっとしながらも、じっと鏡の中を見つめている梅流。
と、突然人々の顔色が変わった。
驚く者、不安がる者、呆れる者、怒る者。
人によって態度は様々だったが、
誰一人変わったその情景を喜んではいなかった。
「何?何があったの?……あっ!」
突如、鏡に大きく映し出されたのは……10歳前後の少年だった。
服装は質素だが上品で、身分が高いことはすぐに分かった。
が、顔は全く見えなかった。
鏡があることを知っているように一度も振り返らず、
梅流の方へ背を向けて走っているのだ。
あの薔薇のように真っ赤な髪の少年…。
知らないはずなのに……。
初めて見るはずなのに……。
梅流はそれが誰なのか、はっきりと分かった。
「貴方……なんだね?」
梅流はまだ眠っている野獣に向かってぽつりと呟いた。
何故かは分からない。
どう見ても彼の髪は紅くない。銀色である。
肌も野獣の方が一弾と白く、
彼が人間でないことを裏付けているというのに……。
なのに分かるのだ。
この紅い髪の少年が野獣だということが……。
『蔵馬王子ーーー!!』
鏡の中から聞こえてきた声に、梅流は再び手元に視線を戻した。
そこでは数人の男たちが先ほどの少年を追っていた。
「…蔵馬っていうんだね、貴方は…」
分かって嬉しかった。
野獣−−蔵馬の名を知ることが出来た……。
それだけで、もの凄く嬉しかったのだ……。
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